20代でフリーランスになったわけ
個人的な経験談です。時代錯誤かもしれません。貴方が何歳でも、フリーランスになりたいけど、どうしよう、と迷っている方の参考になれば幸いです。
はじめに
私がフリーランスの編集者になったのは、27歳の時。30年前です。1991年の初夏に長野冬季五輪が長野県で開催されることが決定しました。私は、長野市でタウン情報誌の編集者として働き3年が経過していました。今後生きる上で、英語が堪能であることが必須と考えました。そのためには仕事を辞めて留学をする必要があったのです。
当時東京はバブル経済の真っ只中、海外旅行も流行っていました。しかし、地方では世間も親も「海外留学」なんて言葉は口にできないほど保守的でした。秘密裏に英語を必死に勉強しながら、留学に必要な書類を集め、着々と準備を進めました。
その頃から、「フリーランスのライターとして生きていきたい」と思い描くようになったのです。そこに至る理由を自分なりに分析して5つにまとめました。
1. 毎日同じ時間に会社に行くことが無理だった
東京都内で大学を卒業して、企業に勤め、たった3ヶ月で辞めた経験があります。なんと無断欠勤で会社に行かれなくなりました。大学は美術を専攻。社会人になった途端に毎朝、同じ時間に起きて満員電車で仕事に行くこと自体が苦痛に。特に月曜日起きられなくなってしまったのです。死にたいとさえ思いました。
2. 事務職、伝票整理、単純作業が無理だった
新卒で就職した企業では宣伝部にデザイナーとして配属されるはずだったのですが、当時は雇用機会均等法ができたばかり。採用寸前に事務職に勝手に切り替えられてしまいました。そして、毎日、伝票整理とコピーとりばかり。私の目の前にはヘビースモーカーがいました。「女性は腰掛けで素直で可愛ければいい」的な雰囲気の漂う時代でした。そもそも無理でした。
3. 人間関係が無理だった
挫折して長野市の実家でぶらぶらしていた頃、タウン情報誌でバイトすることになりました。そこで、デザイン力、文章力、企画力が必要な編集という仕事に出会います。喪失していた自信が取り戻され、女性誌の編集デスクに。でも、責任が重くなるにつれ、数字に追われるようになります。社内でいじめに遭いました。「仕事を効率よくしたいだけなのに、なぜ人に邪魔されるのか」人間関係に気を遣う時間が無駄に思えて馬鹿らしくなったのです。
4. 自分の力を試したかった
雑誌編集をしていた3年間で、社外のクリエイターの友人がたくさんできていました。カメラマンにデザイナー、フリーアナウンサーなど、フリーランスや個人事業主として働くクリエイターとの時間はどこか心地いいものでした。今社内で出世するよりも、現場でフリーランスの記者として一生仕事をしていきたい。そう感じるようになっていました。会社の名前ではなく、自分自身の名前で自由に仕事をしたいと・・・。
5. 海外旅行の経験したから
会社にいる頃に、イギリスに仕事で研修旅行をしました。ロンドンで留学をしていた友人に会いました。その時「フリーランスになるなら、英語で取材できないといけない時代が来るよ。おいでよ」と誘われました。国外に出て、長野という地方で、いかに自分の視野が狭かったか痛感したのです。帰国後、留学準備に入り、1年後に飛行機の乗ったのです。
Special Story
・・・四国への一人旅がなければ今の自分はない
上記のような理由から、「フリーランスになりたい」そのために「留学したい」という思いが、27歳の時に明確化してきました。周りに話すと「よく、お父さん許してくれたわね」「女の子なのに結婚はどうするの」という地方独特の反応。当時が特別ではなく、今も変わらないのではと思ってしまいますが・・・。
決定的に自分に「フリーランスになろう」と決意させたのは、四国への一人旅でした。 道後温泉の湯船で、ある地元の中年女性と出会いました。 「貴方は将来何になりたいの?」と聞いてきました。 私は「実は悩んでいるんです。留学しようか、会社辞めようか」と話しました。 すると彼女はこう続けました。 「人には器というものがあるのよ。 世の中には勉強したくてもできない、留学したくてもできない人がいる。 今、貴方はやりたいことがやれる環境にある。 親に悪いとか、世間体がとか、自分に自信がないとかは考える必要はない。 行動できるならやったらいいんじゃない? 人がどう思おうと関係ない。貴方自身の人生なんだから」。 「なるほど」と頷く私に 「その代わり、精一杯努力して、いつか世の中に返すこと。 その時がきたら、誰かを助けることが大事」 と続けたのです。 彼女自身はその地で子どもを3人育て上げ、全員医者になったと話していました。 そして最後に 「器を決めるのはあなた自身なのよ」 と言い残して湯船を出ていきました。 目からウロコでした。全く知らないその女性との出会いが、20代の自分の背中を大きく押したのです。 「私も、いつかそんな人間になってバトンを次の若者に渡したい」。 そう心に秘めながら、フリーランスとして30年、生きてきました。
フリーランスとして生きることは険しい道の選択でした。でも1ミリも後悔はありません。フリーランスの編集者として、どうやって私が稼ぎながら、介護・離婚・子育てを乗り切ってきたのか・・・。これから少しずつブログでご紹介していきたいと思います。