40年分の親の荷物。片付けに成功して分かったこと。
はじめに・・・トラック4台と可燃物120袋
2020年の春から夏にかけて、親がため込んできた40年分の荷物を片付けました。高齢となって介助が必要となった実父母と同居するためです。
自力で120袋の可燃ごみを出した上に、2tトラック4台分をまとめて便利屋さんに依頼。掃除と多少の改装、DIYを重ね、なんとか気持ちよく同居することができています。
片付けをして分かったことをお伝えします。
1. 40年ため込んだ荷物の実態はすごかった!
6LDKの昔ながらの大きな家。下記が両親が家を建ててから40年かけて、ため込んだ荷物の内容です。
- 押し入れに詰まっていた膨大な昔の布団類
- 11畳の洋室をクローゼット代わりにした、大量の洋服類。
- 食堂とキッチンの大容量の棚に詰まったもらいものの食器類と食品類。
- ホコリだらけの壁面の棚に整理されてない写真類。
- 無造作に散乱した地域の役員などをした時の書類や礼状などの山。
- 崩れかけた70年ものの家具や古いクローゼット類。
- 倉庫に積まれた昔の生活用品。
- 倉庫の前に折り重なる数百個の鉢類。
特にキッチンの食品類に至っては、昭和の寒天や片栗粉、瓶詰めや缶詰類などが眠っていてびっくりです(苦笑)。ぎゃー! と言いながら廃棄しました(笑)。
2. 昭和初期生まれは、ものを持つことがプライドだ!
50代になると、周りの友人も同じ課題に直面します。両親が高齢になって、ものを捨てられないでいる。「片付けたいけど片付けられない」という声を聞きます。その理由は親が抵抗するからというものです。
特に昭和初期生まれの世代は、物のない貧乏な時代を体験しています。ですから「ものを手に入れることの喜び」「ものを買うことのステータス」「ものを持っていることの安心感」が、心を覆い、ものを持つことに固執して生きてきたのです。
ものを捨てるということは、プライドそのものを捨てることにつながるのです。
特に私の母は、「洋服」を買うことに固執していました。買って満足してしまい、正札がついたままの洋服が半数を占めていました。「この間買ったばかり、捨てちゃダメ、高かったの💢」といいますが、よくみると10年前に買ったものだったりします。形は古くなり、スーツ類はカビたりもしていました。
3. 抵抗していた80代の母親に変化が!
80代の母に認知症はありません。ご多分にもれず老化に伴う視野の狭さや判断力の低下、気力が薄れ、新しいものを受け入れない態度というのは見られます。片付けに関しては最初は「全部捨てちゃいけない!」 の一点張りでした。
そして、30年前に結婚前、少しだけ同居していた時の私の部屋は、全てが母のクローゼットとなっていました。11畳の部屋全体が薄暗くホコリとカビの匂い。「片付けないと私が同居する部屋がない」と説得しても「嫌だ」と抵抗されました。
そこでは、母が一目を置く、私の姉が活躍しました。「ありがとうと言って捨てよう! ほら、これもう着れないでしょ?」と母に上手に話しかけます。ワンピースなどの生地がしっかりしたものは、伯母に協力してもらい、手提げ袋にリメイクして生まれ変わらせることで説得しました。
とにかく根気強く時間をかけて説得しながら片付けを決行。姉が帰ると翌朝起きて、捨てられたものを拾って戻すということも度々ありました。「捨てられちゃった! お前のせいだ!」と、何度か責められましたが、私は「そうだねー、ごめんねー、仕方ないねー」ととぼけた返事を繰り返しました。
スタートから2ヶ月した頃、母が、少しずつ変わり始めました。毎日のように子どもたちが訪ねてきて一緒に笑いながら作業する。そんな賑やかな家庭が50年ぶりに戻ってきた感じもしたのでしょう。片付けが楽しくなってきた様子でした。「明日、これとあれを捨てるから手伝って」「昨日は捨てないと言ったけど、考えてみたら捨てようかと思って」と。
80代の母は抵抗と諦めを繰り返し、見事に成長したのです。
4. 片付けに終わりは必ず来る
実は私は、40代の時に義理の母の荷物を片付けたことがありました。認知症だったため、家全体がゴミだらけでした。さらに、ビニールハウス2棟分いっぱいにため込んだ生活ごみ、倉庫いっぱいの家具と農機具類もありました。「こんなにたくさんの荷物片付けられるわけがない」と呆然と立ち尽くしました。
ちょうどその頃、故・瀬戸内寂聴さんが片付けのTV番組にゲスト出演。片付けられない女性と一緒に片付けをしながら「一つ一つ片付ければ、必ず終わりがくる」と励ましていたのを観て感化されました。まず、可燃ゴミの袋を100枚用意して、一つ一つ丁寧に可燃とプラと不燃ゴミとを分けて袋に詰めていきました。合計100袋。そして鉄類などは軽トラックで買取業者まで運んでお金にも変えました。
きれいに片付いた古い家をDIYで内装を変え、屋根を自分でペイントし、家具を買って同居しました。子どもたちはまだ小学生でしたが、素敵な思い出になりましたし、「片付けられないものはない」という自信にもつながりました。その後、義母を看取るまで一緒に過ごした6年間は、私や私の子どもたちにとって大事な思い出です。この片付けの成功体験は私の人生にとって大きかったのです。
5. 家の片付けは心の片付け
「前向きにやれば辛いことも果実に変えられる」これが片付けで得た教訓です。今回、膨大な荷物を見て呆然とする姉・兄。後ろ向きな母。寝たきりの父。その前で私は冷静でした。「大丈夫、片付けられないものはない」と、自分に言い聞かせました。
寂聴さんの言葉の「家の片付けは心の片付け」が蘇ります。一つ一つ丁寧に分別して片付ける。片付くたびに、心が軽くなります。この心の片付けは、周りに伝染します。抵抗していた母親にも、変化が生まれます。途中から明るく笑い飛ばして「捨てていいよ!」と、自己判断ができるようになりました。
両親が生きているうちに、自分の荷物は自分で判断して整理して欲しかった。それが実現しました。すると、姉も兄も私も、達成感が生まれてきて、とても気分が良くなったのです。これから姉兄と3人で力を合わせて介護をする。その連帯感を育む作業にもなりました。
さいごに・・・いかにシンプルに生きるか
片付けをスタートしてから4ヶ月。ようやく完全に同居することができました。
この一大片付け騒動。綺麗ごとでは済まないこともあります。「こんなに高価な洋服を買う余裕があったのに、なぜ子どもにもっと還元してくれなかったのか。なぜ洋服に浪費しても浪費しても心が満たされなかったのかー」。小競り合いをしてしまったことも数えきれません。親の荷物を片付けてやっているのに、時にはなじられる・・・。途中、その理不尽さに一人涙した夜もありました。
親の荷物の片付けは「親だから許せない。親だからこうあってほしい」というエゴとの戦いでもあります。親とのこれからの関係の再設定の時間でもあるのです。親と向き合い、兄や姉との協力関係を築き、自分が親と同居して介護をするという覚悟を決めるための時間でした。
私にとって、この2回目の家丸ごと片付けの成功体験。もう何でも来いです(笑)。精神力がつきました。
そして今度は、自分自身が老後、いかにシンプルに小綺麗に生きていくか。そのことが問われている気がします。