オンラインストア「スーパーグランマ・コレクション」のリメイク手提げ袋の制作者、94歳のきみ婆ちゃんの紹介をします。
🌸生花から縫い物まで、クリエイティブな日常をさらりと作り出す天才
きみ婆ちゃん(94歳)は、現在長野市の郊外に、娘夫婦と、孫と4人暮らしです。朝起きると畑や庭の手入れをします。庭に咲く花や樹木の枝を、剪定バサミで器用にカットすると、ささっと花器に生ける。室内には生花を絶やしたことがありません。
35歳のころから60年という月日を、きみ婆ちゃんは、生花と向き合ってきました。「本派宏道流」師範の資格を得て、東京まで通い続け、お弟子さんを抱え、様々な作品展で数々の賞もとりました。
90歳まで現役で、自宅で生花を教えていました。お花の準備は重労働です。特に花へのこだわりが強かったきみ婆ちゃんにとって、体と頭に少しずつ衰えを感じ、師範継続を断念。ここ数年は、若い頃に好きだった縫い物に没頭し、家族や親戚のために、マスクや手提げ袋、半てん、室内着などを制作しています。
🌸暗く貧しい時代に、縫い物に没頭する十代を過ごす
裁縫を始めたのは小学校5年生の昭和13年ごろ。第二次世界大戦勃発の1年ほど前のことです。4人兄弟で二人の姉がいたきみ婆ちゃん。「一番上の姉やんは教えるほど洋裁が上手だった」と目を細めます。実家は農家で、蚕も育てていました。長女は中学を卒業するとカネボウ紡績工場に勤めます。彼女が手に入れた洋裁の本を妹のきみ婆ちゃんは貪るように読みます。すでに中学生の時に近所から「中学の制服を縫ってくれ」と依頼され、当時使っていた蚕のテントの生地を深紺に染めて、家の廊下に布地を広げ、縫い上げました。その姉の紹介でカネボウ工場にしばし務めましたが、時は第二次世界大戦。混乱の中、姉は結婚し満洲へ旅立っていきました。
その後、きみ婆ちゃんは工場を辞めて、自宅で農業を手伝っていました。「終戦後、姉やんがかすりのもんぺをはいて、命からがら帰ってきた」その姿を忘れられません。満州では子どもを授かったはずの姉の手に、子どもの姿はありませんでした。
暗く悲しい時代に、きみ婆ちゃんは育ち、大人へと成長していったのです。縫い物に没頭できた時間が小さな光だったに違いありません。
🌸酒、雑貨、植木販売など家業の一方で、生花で才能を見出す
昭和26年、きみ婆ちゃんは24歳で結婚します。当時にしては遅い結婚でした。「裁縫はできるし、田んぼでもよく働く子だ」と、親戚のおばさんたちが長野市の当時の繁華街「権堂町」で立ち話をしたことがきっかけで夫の故長克(たけよし)とお見合い結婚することに。
長克は、満洲に出兵し終戦前後にシベリアに抑留され、奇跡的に帰還を果たしたにもかかわらず、前向きで明るい性格でした。きみ婆ちゃんとの見合いの話が持ち上がると、10キロ近くある道のりを自転車で駆けつけてくれたことに心動かされ、結婚を決めました。
嫁ぎ先は、昔でいう雑貨店でした。当時は地域に食品類を置くお店は少なく、酒販売の免許があったため、酒の小売りを中心に、塩やみそ、醤油などの調味料から、贈答品類、生菓子やパン、アイス、雑誌類まで売りました。田んぼや畑もあり、途中からは植木を育てての販売も開始しました。
残念ながら、子宝には恵まれなかったきみ婆ちゃん。配達の途中で出会った生花の美しさに一目惚れします。以来、少しずつ生花を習い始めます。バブル経済とともに、店は繁盛。敷地内に生花を教える専用のプレハブを作り、稼業の合間にお弟子さんに教えるようになります。
小さな時、同居していた姪っ子が、大学生の時に養子に入り家業を継いでくれて、家も新築。晩年は、穏やかで幸せな時間を過しています。現在、4人の孫と3人のひ孫に恵まれています。
水引のストラップは、筆者が手仕事で手提げ袋の色合いに合わせて作成したものです。
筆者よりきみ婆ちゃんの作品販売にあたって
🌸時を超えて受け継がれる文化、橋渡し役としての人生
2021年夏、きみ婆ちゃんの義理の妹、筆者の母(笑)が高齢となり、大好きだったにもかかわらず、ほとんど手を通していない洋服のコレクションを整理しました。数十着もの高級な服たち。スーツなどのしっかりした素材からワンピースなどのオシャレ着まで。和洋折衷の生地もたくさんありました。
これらを捨てようとしたのですが、きみ婆ちゃんが「捨てないで、全部ちょうだい」と声がけしてくれました。以来、物凄いペースで、型紙なしで洋服の形や模様を考えながら裁断し縫い続けて、できたのがこの手提げ袋たちです。その数は100袋近くに上ります。生地の質の良さはもちろん、柄物の模様を上手に配置したものや、ポケットをわざと使いやすく斜めに配置したもの、ステッチの色を変えたものなどなど。まさに奇跡のリメイク技術によって、この世に一つしかないオンリーワン商品たちが生まれたのです。
ぜひ、94歳のきみ婆ちゃんの想いを込めた手提げ袋を、昭和から令和を生き抜いてきたきみ婆ちゃんの生き方に共感していただける皆さんにお譲りしたいと、筆者はコレクションを立ち上げオンラインストアを開く決意をしました。
歳を経てくると、大きなブランド品のバッグは重くて実用的ではなくなってきます。エコバッグのように、軽くて簡単に持ち歩けたり、くるっと丸めていくつか旅行にも持っていける。そんな手提げ袋が重宝します。生地の色合いに、ちょっと和のテイストが入っているとなんとなくしっくりくる。それが我々日本人の女性たるゆえんでしょう(笑)。
洋服や和洋生地、裁縫という文化を、次の世代へ。大事に大事に使って、人生の大切な時間にお供させていただければ幸いです。そして、もし気に入ったら、お子さんやお孫さんへ引き継いで行ってほしい。
制作者たちがこの世からたとえいなくなっても、時を超えて遺っていく文化がある━━━ そんなステキな橋渡し役こそが、きみ婆ちゃんの人生そのものなのだろうと思って止みません。(完)
取材・執筆/ 寺澤順子(編集者・SUPER GRANDMA COLLECTION主宰)
SUPER GRANDMA COLLECTION (スーパーグランマ・コレクション)
オンラインのECサイトSTORESでショップを持っています。
最新情報はこちらFacebookページから