ライフスタイル

激白! 50代断酒の壮絶な真の理由

「いつも笑顔の母さんにも、苦しかった時期があったんですね」と、大変お世話になっている方から言われ、「暗黒の時代がありました!」とお返事し、それを機にこのブログを書くことにしました。

あくまで自分の視点で書いたものです。登場人物を非難するものではありません。全ては筆者が未熟だったことにも起因しています。愛した人を幸せにできなかったこと、大切な子どもたちの心を守りきれなかったことは、私の悔いであり、一生抱えていくものだと思っています。

はじめに・・・窮地に断酒

50歳を前に2015年から断酒を4年間しました。その根本的な理由は、ズバリ、夫の借金とアルコール依存による事故、義母の在宅介護です。断酒の間に離婚もしました。

窮地に陥った時、自分自身が一番大事にしてきたものを捨てる」ことを思い付きました。それが断酒です。そのおかげで、自分の心をコントロールすることができて、問題をなんとか解決できたのです! 「生きてさえいれば、解決できない問題はない」と言い聞かせて、歯を食いしばって生きてきました。その経緯を説明します。

バブルが崩壊し、生活費のない日々が続く

元夫も私も自営業同士の結婚でした。私自身は、公務員の家庭に生まれ、兄と義兄は銀行員。劣等感を持って育った私は、反面教師とでも言うのでしょうか、自営業に憧れました。

結婚前に、義父がアパート経営をしていて、それを運用するために元夫が会社を作り運営していました。羽振りがいい時に結婚、しかし数年してバブルが崩壊し、見事にアパート経営が傾き、返済が滞るようになりました。

さらに区画整理事業が盛んな時代。周辺に新しいアパートが乱立し、義父の持っていた古いアパートはほとんど入居者が入らなくなりました。必然的に借金はかさむ一方で、督促状が各方面から届きます。

おかげで、結婚10年目あたりから、生活費をほとんど入れてもらえなくなりました。

夫のアルコール依存は数千万の借金から始まる

義父が倒れた頃から、元夫の言動がおかしくなりました。もともと義父は酒乱でした。元夫もアルコールに依存するようになり、外で派手に飲んでは、車を運転して帰る毎日。止めると家族に暴言を吐くと言うことが続きました。

借金は当時、数千万円ほどあったのではと予想します。稼いでも稼いでも借金に消えていく。家族の年金や国保すら払えない日々が続いていました。当時、保険証のない中で、娘が喘息を起こし、生死と向き合う毎日でした。

筆者も保証人となり銀行口座が凍結に

義父の死後には、借金を全部引き継いだ元夫は外を飛び回り、資金繰りに走っていました。筆者も一部保証人を引き継ぎました。ですので、こうした督促への対応は私がやり、関係者が怒鳴り込んでくることもありました。そしてある日、筆者の銀行口座も凍結されました。

筆者自身の仕事にも支障が出たり、結婚前からの固有の財産を守るために、金融機関に走ったりと大変な思いをしました。専門家を通じて、土地を全て売買し、アパートが競売にかかることになりましたが、結局、残った返済や税金の支払いに翻弄されることになります。

ある日、夫は飲酒で事故を起こし、免停に

そんな日が続けば、案の定、元夫は、飲酒したまま運転して事故を起こし免停に。契約していた仕事も全て失いました。「もう酒は飲まない、お前の言う通りに生きる」と初めてそこで反省の言葉を口にしました。

実は、筆者は心の中で「ラッキー!」と思ったのです。なぜなら、こんなことでも起きなければ、彼の素行はもう止められない状態でしたから。

そして、考えたのです。「一緒に断酒をするから、頑張ろう!」と声をかけました。痛み分けをしよう、と筆者の断酒が始まったのです。今思えば、筆者のこの一方的なストイックさが、さらにプレッシャーを与えてしまったのではないかとも思えます。

義母が脳梗塞となり、壮絶な自宅介護に

義父が亡くなる半年前には、義母も脳梗塞になり、半身が動かなくなりました。しばらく一人でがんばったのですが、認知症も発症したため、同居することになりました。結局6年間、同居し最後の1年は在宅介護をし、食事作りや介助、おむつの取り替えや入浴までやりました。そのため、もうアルコールを飲んでいる場合じゃない。これも断酒の理由の一つになりました。

この時の壮絶な生活はこちらから

義母の死と、子2人の進学を前に、離婚

断酒をして介護をして義母を見送った春。元夫と冷静に話し合いをしました。「子どもたちの学費や生活費など責任を取れないから、離婚してくれ」と言われました。

断酒以降、元夫をもう責め続けることはやめていましたから、冷静に子を守るための決断を話し合えたのです。

娘は不登校・息子は大学中退と家出

父母の口論や絶望を見て育った子どもたちは、やはり心が壊れかけていました。これは虐待であり、筆者は親として、責任を取らねばいけません。娘は不登校となり、息子は大学を中退し家出をしました。

娘はその後、地元の専門学校を出て、通信で大学に編入しています。息子は都心で仕事を見つけ、今ようやく自立できました。そして、実の両親が高齢となり介助が必要で、娘と二人で両親との同居生活が始まり、今はとても幸せで静かな生活ができています。

さいごに・・・幸せでいいのか?

今、信州の母さんは、幸せです。地獄のような暗黒の時代を抜けて、とても平穏な環境で生活できるようになりました。

この壮絶な期間も、筆者自身の仕事だけは一貫してうまくいっていました。それは周りの人たちが良かったからです。子育ても助けてもらいましたし、苦しい時は仕事も回していただきました。感謝してもしきれないと言うのが本音です。

正直、暗いトンネルから抜けたと思えたのは、ほんの2年ほど前のことです。その後、長野では災害がおきました。筆者は直接被害はありませんでしたが、災害支援や情報発信に奮闘しました。人生とは困難の連続だと実感しています。

いずれにしても、いばらの道を乗り越えられたきっかけは、「断酒」であることに間違いはありません。心のコントロールや自分自身の有用感を保つこと。辛いことに向き合い対処すること。子どもたちを守り抜くこと。覚悟を決めてやり切る。そのきっかけに「断酒」をスタートし、4年間断酒を続けたことは大きな助けとなりました。

しかし長年、経済的にも精神的にも、肉体的にも苦しい中に生活していると、今、こんなに楽でいいのか、何かよくないことが起きるのでは? とつい疑ってしまいます。「もう安心して飲んでもいいんだよ」と自分に言い聞かせ、今はワインを100ccだけ食事の時に飲んでいます。「いいんだよ、幸せになっていいんだよ」と。

世界では紛争が起きている昨今。これは、幸せな時代に幸せな国で生まれた筆者の、自作自演のわがままな人生劇なだけです(苦笑)。最後まで読んでくださり、ありがとうございました。

コメント

しんさん
2022年3月4日 @ 9:36 PM

じゅんこさん、壮絶な人生だね。よくぞ激白してくれました。酒とお金は人生を狂わすね。今が幸せなら良かった。最期の時に色々あったけど面白かった〜と思えたら良いよね。



    2022年3月4日 @ 9:49 PM

    ありがとうございます。その通りです。借金と酒とプライドが人間を壊します。この試練が世間知らずの母さんには必要だったのかもしれません。



佐々木 博子
2022年3月6日 @ 7:55 PM

読みながら
この言葉が思い浮かびました
Every cloud has a silver lining.
人間万事塞翁が馬

ですよ
これからの人生
この経験があるからこそ
より幸せになれると思いました



    2022年3月6日 @ 8:21 PM

    いい言葉ですね。自分次第で、突然降りかかる不幸も、幸福に変えられる。逆に幸せを自覚できず、不幸にもなる。博子さんの人生観がわかります。ありがとうございました。



コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です

Social media & sharing icons powered by UltimatelySocial