主婦、奥さん、は死語? 国際女性デーにあたって思うこと。表記に性別は必要か?
最近、公式な職業として、新聞などのマスコミや公式文書から「主婦」という言葉が消えつつあります。様々なアンケートや申込書などでも「無職」「農業」「個人事業主」「会社役員」「アルバイト」「パートタイム」「契約社員」「嘱託職員」「正社(職)員」などの表記になっています。
「主婦」は職業なのでしょうか。昭和時代まではそう世間では認識されていました。筆者も子供時代は特に何も疑問を持っていませんでした。
「主婦」という言葉を死語にしたい
今や社会でも家庭内でも男女平等であるのは当たり前のことです。もちろんパートナー同士の様々な家庭事情により、どちらか一方が集中して働き、もう一方がその環境を整える役割に徹する。そんな関係は特に否定するものではありません。
ですから、「主婦」が職業かという議論から外れるかもしれませんかが、もう「主婦」という女辺がついた言葉自体を使わないようにするべきだと筆者は考えます。また「家事手伝い」という女性が結婚するまでの花嫁修行中の呼び名も、懐かしいものになってしまいました。妻でも娘でも母でもなく、固有の存在。職業は「無職」でいいじゃないですか。
筆者がライターや編集者として新聞やネット媒体で記事を書く時、対象の女性の氏名表記が難しいときは「女性」とします。地域活動の取材記事などで、「おばちゃんたち」「おばあちゃんたち」もタブーで、「退職世代の女性たち」「中年の女性たち」「高齢者の女性たち」と表記しています。
男女の区別情報は本当に必要なのか?
原稿を書く場合、実際は性別は記載せずに、「地域住民たち」「地域役員と住民ボランティアたち」で十分だと考えます。写真に女性たちの活動写真が写っていれば、あえて文字表記が必要でしょうか?
また、「受付のお姉さん」「レストランのお兄さん」のような表記は「受付スタッフ」「レストランスタッフ」というように、あえて男女を表す理由がない限り、性別にこだわりません。現場で声をかける時も同様の配慮が必要です。
最近は「女性議員」「女社長」という言葉が、まるでジェンダーに配慮していることをアピールするかの如く、様々な媒体で乱用されています。女性の間でよく「なんで女性にだけ女社長、女議員ってつけるんだろうねー」との会話が聞かれます。しかも「女性の政治参加」のような表現も、あくまで女性は参加者であって、主催は「男性」であるという無意識のバイアスが根底にあるのではと疑ってしまうのは、筆者が屁理屈過ぎるからでしょうか。
記事の意図を伝えるためにどうしても性別が必要でない限り、誰を取材しても必ず男女や年齢を表記することはやめたいなと個人的には考えています。
みんな違うから安心だと思える社会へ
一方、商店街で買い物をすると「奥さん!」「旦那さん!」という掛け声がかつては飛び交っていました。筆者が結婚した昭和時代には、市役所の窓口で「奥さん!」と市役所職員から呼びかけられ、若かった私は職員を無視した上で苦言を呈したのをはっきりと覚えています。個としての自分を否定されているような錯覚に陥ります。たとえ結婚していても知らない方から突然「奥さん」「お嫁さん」「お母さん」と呼ばれるのはあまり、気持ちいいものではありません。ましてや結婚もしていない、子どももいない人の気持ちを考えると、安易にこうした呼びかけができる人の気持ちは全く理解できません。
最近、20代の娘が、TVを見ていて「政治家のお爺さんたちの見分けがつかない」とよく言います。これもまた、皮肉であり差別意識が働いているのではと考えます。もちろん男女がほぼ同数で、20代から60代ぐらいまでの多様な世代、身につける洋服の形や色も多様な人材が政治を動かしていたら、そんな発言はなかったはずですが・・・。
みんな似ていて同じ考えだと安心する。という社会が、今は、みんな似ていて同じ考えだと不安に感じる社会になりつつあります。それこそが健全な社会なんじゃないか、誰かを無意識に犠牲にしたり我慢させたりしてはいけないんじゃないか、と筆者は考えます。